私の性格
 

部屋の整理をしていると一冊のノートが入った封筒が出てきた。
今から一年ほど前に仕事で九州にいた時のモノである。一週間の予定の出張が結果的に半年近く滞在することになり、慣れないホテル暮らしの最中に書いた文章がつづられていた。ほとんどがいわゆる日記の様な雑文で、決して人様にお見せ出来る代物では無い。本人にとってはその当時の精神状態等が手に取るように理解できて、本当に恥ずかしい代物だ。
そう、私は人一倍恥ずかしがり屋なので有る。


思えばこの性格のおかげで随分と間違った評価を下される事がしばしば有った。たとえばある友人は私の性格を「すごく気障で鼻持ちならない男」と間違った評価をしている。なぜそう思うのか...
例えば女性とデートをしたとしよう。デートの途中で「好きだ」と伝える機会を伺う。だが恥ずかしがり屋な私には機会どころかその台詞すら面と向かっては言えない。そこで彼女がトイレにでもたった隙に手紙を書くのである。もちろんその台詞だけ書いても仕方ないので、その日の出来事なんかを交えながら短い手紙を手帳の切れ端に書いておく。いくら恥ずかしがり屋な私でも、その手紙を渡すことや「帰ってから読んでくれ」ぐらいは言える。
...で、それを客観的に見ると「気障」ということになるらしい。「好きだ」と言う気持ちをひた隠し、別れ際にさりげなく手紙で気持ちを伝える。確かに自分のつけている香水がかかった便箋にメッセージが書いて有って、ポケットからバラを一輪取り出し添えて渡せば「気障」と私も思うが、事前の計画性は一切無く、機を伺ったが逸してしまい、思い付いて普段持ち歩いている手帳の切れ端に気持ちを書いた。当人にすれば困り果てたあげくの奇行である。
それがなぜ「気障」なのか私には理解できない。


話をノートに戻そう。

例えばある日にはこんなことを書いている。

某月某日
Nさんが深夜に部屋へ来た。玉屋の裏に行きたいらしい。

某月某日
今日もまた部屋に来た。どうしても行きたいらしい。

某月某日
毎日来られては迷惑なので仕方なく連れて行くことにした。

某月某日
アポが取れたがオカマちゃんだった。私はノン気なのでNさんにゆずって、私は飲みに行った。

某月某日
今朝、電車でNさんが大暴れをしていた。
そう言えばオカマって言ってなかった。ごめん。


現場に居合わせてない人にはさっぱりわからない文章だろうから要約すると、テレクラみたいな所に行ってアポが取れたが、オカマちゃんだったので、その気がある同行したNさんにバトンタッチした。オカマをあてがわれて翌日Nさんは大激怒というのが大筋だ。
私の勘違いにも原因が有った事は確かである。
当時の私の心境を説明すると、仕事に疲れて帰った深夜にNさんがホテルの部屋に日参して同行を哀願している。恥ずかしがり屋なだけでなく頼まれればイヤと言えない私は、「これはもう連れて行くしか無い」との結論にたどり着いた。しかし同行したのは良いが空振りに終われば、Nさんは何度でも再チャレンジを要求してくるだろう。ならば出来るだけNさんの希望に添えるべく行動した方が良い。アポをとったのがあいにくオカマちゃんだったが、そんな時にNさんが以前に「Kさんは男前ですね。あの人だったら抱かれてもいいですよ。(うそ)」と言っていた事がふとよぎったので有る。こうやって文章を読んでいるとNさんのその発言は冗談とすぐわかるし、関西人の誰もが持ち合わせる独特のウケねらい気質をNさん持っていることを考えればなおさらだろう。
しかし、それは文末に「(うそ)」が付いているからで、会話の中には当然それが存在していない。会話では「!」や「・・・」は表現されないし、名俳優でも相手に理解させる事は容易ではない。オカマをあてがわれたNさんを翌朝電車で大暴れさせてしまったのは、私がNさんにその気が有ると勘違いしていた事と、喜んでもらいたかったと言う純粋な気持ちが逆の結果を招いてしまったに過ぎないのだが...。
以降、Nさんは私の事を「冷酷非情な策略家」と誤解している。


以前はこんな性格がイヤで矯正のセミナーがあれば是非参加しようと真剣に考えたりもしたが、実は恥ずかしがり屋な性格に助けられている部分も有って現在に至っている。
本当は締め切りに間に合わない事が言い出せなくて、お詫びを書くつもりで文章を書き始めたら一本書けてしまったという事を最後にさりげなく書くあたりを見れば、私が本当に恥ずかしがり屋なのがご理解いただけると思う。


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