あこがれの職業
 

実際にそうなるかは別にして、誰にでも子供の頃一度はあこがれた職業が存在するだろう。私の世代ではあこがれの職業No1は国際線パイロットで、医師なども上位にランキングされていた。
ところが私の幼少時代はそれはちょっと違っていた。ウルトラマンになりたかったのである。


なんせ幼稚園児にモノの道理が理解できる筈が無い。大きくなって何になりたい?と言った漠然とした先生の質問に、幼稚園児がウルトラマンと答えたとしても不自然な事は無いのだが、どうやら先生には頭のイタい子と勘違いされてしまっていたらしい。
慶応幼稚舎の様なところに入学したならともかく兵庫県の尼崎市に有る普通の私立幼稚園なのだから、正義感に満ち溢れた、幼い心をもっと大切にして欲しいとつくづく思う。
ある日、休み時間にみんながグランドで遊んでいる時に私が一人だけ、教室の水槽の金魚を眺めていた事が有った。遠い昔の事なのでなぜ金魚を眺めていたのか理由は思い出せないが、なぜそんな事を覚えているかというと、実はこの件で両親が幼稚園に呼び出しをされていたらしい。「将来この子はアパートにたてこもって爆弾を作るような人間になる。」と先生から言われたそうだ。前述の勘違いの件も含めて、その事を両親に聞かされたのはかなり後の話だが、部屋に閉じこもってせっせと文章を書いている今を思えばまんざら外れてはいないような気もする。


やがて思春期になると、男にとってのあこがれの職業も同じように春を迎える。風呂屋の番台、産婦人科医、AV監督(男優)等の「タダで裸が見放題」関連がランクインして、実際に銭湯を経営している家庭の同級生が羨望の眼差しを受けていたのを思い出す。
私がその当時あこがれていた職業はアラブの王様だった。当然、女性の裸には興味が有ったが、それよりも召し使いのコスチュームに甘酸っぱい物を感じた。今でも神戸に有る某レストランの女店員さんのコスチュームを見ればちょっとドキドキしてしまう。注文だけならともかく、食事中につきっきりで巨大な団扇で優雅に扇いでくれたり、身の回りの世話等をしてくれたら...。実際に世話をしてくれる事は無理だと判っていても、フォークの一つでも床に落として呼び付ければ拾って交換ぐらいしてくれるだろう。その時に、ちょっと高圧的な態度だったとしても客だから許してもらえるのでは無いか?といけない想像がどんどん膨らんでしまう。フォークを落とそうとする衝動にかられながら、我慢を重ねて食事したせいでメニューや味は一切覚えていない。以降、その店には2度と行かない事にしている。


そんなこんなで実際に就職することになると、あこがれの職業と言うのは跡形も無く消え去ってしまう。県立の普通高校にパイロットや医師の募集が有る筈が無い。「○○鉄工所 職種:営業 初任給:13万7千円(前年度実績)」等の求職票の文字を目の前にして、「ほんとにこんな所応募する人っているのかなぁ?」って思っていた一年後、その会社で働いていたりするから不思議だ。あこがれの職業って一体何だったんだと言う気持ちになる。だが、これはあくまで私の話で有って、幼少から官僚を目指して勉学に励み、目的を遂げる方もいれば、医師の家庭に生まれて、当然のように医師になる方もいるだろう。しかし大抵の場合は、あこがれの職業と実際の職業が違うのではないだろうか?実際に社会に出てみると色んな人と出会って、色んな事件が有って選択肢が現実的になっていく事が多い。それを「大人になる」と言うのだろうか?
もちろんウルトラマンやアラブの王様は論外だが、もうちょっと、みんなが希望する職業に就けないものだろうか...。


いつまで経っても大人になれない私にはあこがれている職業がある。
立ち食いうどん屋を経営することだ。ああ見えて結構考えさせられる所が多い商売で、大きくしようと思えば経営のノウハウをアルバイト店長に教えて次々と出店する事も出来るし、逆に嫁さんと2人でのんびりやる事も可能で、世情に応じた緩急自在な経営方針が選択出来る。もちろん私は後者を選択するつもりだ。
朝起きてその日の気候や季節に応じて麺を仕入れる量を考えたり、おにぎりを作る量を模索しながら、一日が始まる。昼食時のピークをさばいた後、大スポを読みながら小休止。たまにパチンコへ出かける事も有るだろう。夕食時まで営業するかはまだ考えていないが、手打ち麺を採用して、麺が無くなったのを理由に早仕舞いしてしまうのも良いだろう。常に嫁さんが一緒で、浮気する機会が無く窮屈じゃないかと思われるかも知れないが、そんなことは無い。近所の商店会にでも加入しておいて商店主だけの懇親旅行と称して山代温泉あたりに行く計画を提案する事で解決しようと思っている。
後は出店資金持参の嫁さんを探す事さえ出来れば、私もあこがれの職業に就けるのだが...。


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